「鬼ごっこをしないか。」
それはあまりに突然の事だった。それまでやっていた作業や、考えていた事の全てが頭からぶっ飛んでしまう程に、彼の口から発せられた言葉は予想外何てレベルでは無くて、私は隠された意味も無いそのままの言葉を理解するのにたっぷり時間を要してしまった。――それ程に、遊星から出るにはあまりに珍しい…というより、正直それ人生で初めて言った台詞でしょ、ねえ?
「……は、おに…?」
「?…忘れたのか?」
「いや忘れるわきゃ無いでしょうに。」
まじまじと二度見三度見宜しく遊星の整った顔を見なおす。夢か幻かと瞳を指でさすってみても遊星の真面目な表情に変わりは無かったし、消えることは無かった。…っていうか、なんつー真面目な顔して鬼ごっこをしよう何て誘ってくるんだこの人は。
記憶を辿ってみても、やっぱり幼い頃でも彼自身から鬼ごっこをしようと誘ってきた覚えは無い。どちらかと言えば私が無理矢理引っ張ってやらせた記憶ばかりである。
鬼ごっこが嫌いなのかと問われれば答えはノーだ。しかし今重要なのは何故、このタイミングで、遊星が、それをしようと言い出したのかという事である。
外ではしゃぎ回りたい年頃でも無い、というより遊星は昔から機械を弄っていたからむしろ真逆の部類。そもそも今この場にいるのは彼を除いて私しかいないことに彼は気付いているのだろうか。2人きりで鬼ごっことか正直きついってレベルじゃねーぞ。
「…駄目か?」
「駄目っていうか…、二人しかいないのに気付いてる?」
「ああ。」
ああ、じゃねーよ?もう何処から突っ込めばいいのか頭の中で悩んでいると、嫌がってはいないと判断した遊星は「は逃げる方が好きだったな」と昔を思い出しているのか少し懐かしそうに瞳を細めた。無論逃げる方が好きですけど。追いかけるのとか正直疲れて投げ出したくなるっていうか、この二人で鬼ごっこをした場合確実に遊星を捕まえられる気がしないのは間違っていないと思うんだけど。
「二人しかいないのに、やりたいの?」
「二人しかいないから、やりたいんだ」
成程まるで意味が分からんぞ!
二人だから鬼ごっこしようっていう発想がまずわけ分からん…。捕まってはい終わり、でしか無いけど良いのだろうか。どうせならジャックやクロウ、ブルーノが帰って来るのを待ってからでも遅くは無いとは思うのだが。絶対遊星が提案したって言ったら三人共目玉飛び出させるに違いない。何だかんだで今更だとか子供じゃないとか言いながらも、みんな優しいから付き合ってくれるだろう。ああでも――…うん、何か酷いことになりそうな気はする。何てことを考えてみるも、現在遊星が所望しているのは二人でするという何とも寂しい鬼ごっこだからこれはまた今度になるだろう。
「…仕方ないなあ。」
ああだこうだと言いながらも承諾してしまうのは何も皆ばかりでは無い。無茶降りでも無ければ滅多に頼み事やしたい事などを口にしない遊星からの提案だ、断る理由も無かった。
仕方ないなあ、何て言いながら内心童心にかえった様でワクワクしているのも事実だった。私の緩んだ口元を見て、遊星が「なら俺が鬼だ」とふっ、と笑みを浮かべた。いや確かに私は逃げる方が好きだけど、遊星とか捕まえられる気しないけど。鬼ごっこが何日超しのレベルになるけれど。
「遊星が逃げたいなら私頑張るよ?」
「いや、俺が鬼でいい。」
何処か有無を言わせない雰囲気に圧されて反射的に「あ、はい。」と返してしまう。キッパリと真顔で言い切られてはそれ以上何も言えなかった。「ただ…」瞬きを三度繰り返しているうちに遊星の口から漏れた声は少しだけ言い辛そうに感じた。
「ただ?」
「一つだけ、ルールがある。」
ルール?普通の鬼ごっこにルールも何も無かったような気がするのだが。色鬼や氷鬼ならまだしも普通のにルールなんて…ま、まさかタンマ無しとかそういう…?まあ確かにあのルール面倒だしね、
「オーストラリア式だ。」
「成程分からん。」
何で此処で外国が出てきたのか理解しかねる。っていうか何処でオーストラリア式の鬼ごっこの情報なんて得て来たの遊星さん。鬼ごっこという名称でもやたら難しいルールだとまずは覚えることから始めなければならない。まさか彼はみんなでする時用の説明係の為に先ずは二人でと…?いやそれは考え過ぎか。具体的には?と聞き返すと
「基本的には何も変わらない。」
「何処が変わるのかを聞いてんだよ。」
何も変わらないのならオーストラリア式も何も無い。教えろとお菓子を寄越せと子供が手を差し出す用に強請れば中々渋る様子を見せながらも彼は「男女に別れて行うものだと聞いた」、だそうな。…いや、
「男女に分かれるも何もだから今ここには私と遊星しかいないって何度ry」
「だから丁度良いと思ったんだ。」
「成程分からん。」
この台詞も二度目だが、もう…何でもいいわ…!
逃走範囲は童実野シティ全体で良いと提案されたのでならばとD・ホイールを持ち出せば噴水周辺だけにまで狭まってしまった。ちくしょう、解せない。ちなみに建物内が許されるのはガレージのみである――のだが、誰が好き好んで飛んで火にいる夏の虫になるものか。例え相手があの高スペック遊星であっても私はこの勝負を早々から諦めたわけでは無い。3分間の逃走時間を得た私は一目散と太陽の照る外へと飛び出した。
「ぐっへぇえ…疲れたぁ…!」
数十分後、ひやひやとする展開を何とか切り抜けた私はこっそりと人気の無い狭い路地へと背中を預けて座り込んだ。何がどうって…もう、見つかった瞬間の全力疾走っぷりがヤバイ。遊星インテリに見せかけて運動神経抜群挙句に頭も良いから――あれ何だあのオールマイティ野郎ムカつく。…とにもかくにも、体力真っ向勝負では数分と経たぬうちに捕まるのが分かりきっている為大変ったらありゃしない。切り抜けるのが大変にも程がある。ブルーアイズマウンテンを飲んでいたジャックを盾にし、デリバリー最中横切ったクロウのブラックバードに捕まり範囲内を移動し、帰ってきたブルーノに訳を話して嘘情報を遊星に伝えてもらったりと私なりに(人を)駆使して何とか逃げ延びている。
オーストラリア式と説明した時、同じように首を傾げていたブルーノが「じゃあ僕が帰って調べてみるよ」と言ってくれたので、そろそろ連絡が入ることだろう。
全力疾走したせいか痛む肺と疲労を訴える足。こりゃ捕まるのも時間の問題だな、何て半ば諦めつつゆっくりと立ち上がり周囲を見渡す。見渡しは悪いものの、バッタリと鉢合わせしなければ一定の距離を保てる上に入り組んだ路地へ逃げ込む事が可能だろう。
そろそろと遠くを警戒しながら足を進める。確かに疲れはするけれども、確かに感じるこのゾクゾクとしたまるでスパイの様な緊張感が私は好きだった。まあ鉢合わせしようものなら大声で叫び倒すけれど。何てことを思った上で、理由は分からないが今回鬼ごっこを提案した遊星に少しだけ感謝した。
「…あ、」
上着のポケットに入れていた携帯が振動する。万が一にも着信音で居場所がバレるのを恐れてマナーモードにしたのだが、逆にそれに少し吃驚して反射的に足を止めてしまったのは秘密である。開けば期待した通り、ブルーノからのメッセージだった。
はてさて遊星が何を思ってオーストラリア式と言った理由が分かるぞ、と興味津々に文字を目で追う。なんて事は無いだろうと信じたいが、もしも捕まった場合逆立ちで町内一周とか、いやそれは絶対に無いだろうけどそんな無茶降りだったら困――。ここで私の思考は、つい数十分前、突然遊星に「鬼ごっこをしよう」と言われた時みたいにストップする事となる。
俄に信じがたい、というより予想外過ぎて「は?」と言いたくなる内容。文末に綴られた「頑張ってね」の文字から、ブルーノの少し眉を下げながらも穏やかな笑みを思い浮かばされた。電話では無くわざわざメールで連絡してきたのは彼なりの気遣いだろう。…いやいや、そうじゃ、なくて。…は?
――落ち着いて読んでね?…調べてみたんだけどオーストラリアの鬼ごっこは、男女に分かれて行うもので、捕まえたら――
「捕まえた。」
呆然と携帯の画面を見つめる私に、静かに低い声でかけられた聞き慣れた声。大きな手の平が私の肩を掴み、振り返った先にある整った顔との距離が0になるまでの間を、私はやけに長く感じた。
「―――」
捕まえたらね、キスするんだって。
(遊星らしいと言えばそうかもしれないね。思わず微笑ましくなっちゃったよ。)
…というのを聞いてカッとなって書いた
20120322