偽りの愛言葉


#偽りの愛言葉

春の陽気が漂ってきたかと思えば、負けじと冬の肌寒さが吹き抜けたりする今日この頃。
春休みという長期休暇が終わりの鐘を鳴らし始めれば、手に余る宿題に幾人かの学生からは悲鳴が上がるのだが――そんなことは、学校に通っていない遊星には全く持って関係の無いことだ。
黙々とD・ホイールへと向き合う遊星の行動から発せられる音は小さな工具の擦れ合う音だけ。メカニックに関して遊星と肩を並べているブルーノは今はWRGPに向けての資金調達へのバイトでいなかった。
「ただいまぁー。」
「…。おかえり、早かったな。」
パタパタと駆け足で近づいてくる聞き慣れた足音に気付いて遊星が顔を上げると同時に、少女は肩を縮こまらせながらガレージへと入ってきた。風が冷たいから早足にもなっちゃうよ、と彼女の口から漏れるのはガレージには入り込まない風の話。
そうか、と相槌を打ちながら帰ってきた彼女を迎えるべく手にした工具を置いて遊星が立ち上がれば、その格好には「わ、」と声を上げた。
「何この外の温度と中の人の格好のギャップ。」
「中は暑いからな。」
もうすっかりと慣れてしまったガレージ特有のひんやりとした空気も、D・ホイールの繊細なエンジンにかかれば熱を帯びる。いつも着ている上着を手頃な台の上に引っかけられているのに二人で視線を送った。

「……冷たいな。」
「私は温かいから無問題!」
再び作業を開始した遊星の背中に向かって、は楽しそうに笑った。色が黒めの遊星の肌を、白い彼女の指が撫でる。上着を着ていないことによって露わになっている程よく筋肉質な腕の熱を奪うかのようにぎゅう、と作業に支障のでない範囲でそっと掴む。
冷たい外風に晒されて帰ってきたの指先は確かに冷たかったが、遊星は取り乱しはしなかった。それは元々の性格もあるのだろうが、場所にもよるのだろう。
普段から隙あらば悪戯を試みるなら本来、遊星の反応に不満そうに眉を潜めたかもしれないが、じんじんに冷え切った冬の日に突然首もとに添えてやった時の彼の動揺っぷりがそれを思わせることは無かった。
お昼食べた?まだだ。一区切りつきそう?ああ。じゃあついたらご飯食べようか、そうだな。
何とも淡々とした会話。膨らむ様子を見せない返事だったが、はそれに慣れていたし、嫌だとは思わなかった。腕から手を離してひょっこり横から顔を覗き込む。一心に機械を見つめる深い青色の瞳にうっかり目を奪われていると、「どうした」と問いかけられた。ハッとして瞬きを一つしている間に、手の動きこそ止まらないもののその瞳が自分に向けられていることに気付いて、は気恥ずかしくなりながらも「何でもない」と何処か嬉しそうに笑った。

「遊星なんて嫌い」
ぽつり、呟かれた言葉は広いガレージへと溶け消えた。背中に感じる彼女の体温、いつからか預けられた背中は言葉の割に退く様子を見せなかったし、遊星は思考に気を取られて一瞬こそだが手を止めた。
――が、すぐに背中越しに伝わる相手の笑いを堪える様な震えに気付いてああ、と納得して作業を再開する。今日はエイプリルフールだから気をつけろよとクロウが出掛ける前に言っていたのを思い出した。成程、クロウの感はよく当たっていた様だ。
悪戯好きなのことだから、もっと大規模なことをしてくると思っていたがどうにもそうでは無いらしい。珍しくも何ともオーソドックスなものが来たものだと何処か拍子抜けしながら、遊星はいつだったか得た知識で応戦した。
「エイプリルフールの嘘は午前中限定だと聞いたが」
あれ、すぐバレた。とすぐに返ってきたのはつまらなさそうな返事。それはそうだろう、ジャックじゃあるまいし、何て本人に聞かれれば確実にうるさくなるであろう失礼なことを考えた。
「それ外国か何処かのルールだっけ?」
「おそらくな」
「そんなこと知ったこっちゃねえ…!俺たちのエイプリルフールはこれからだ!」
「自分勝手過ぎる。」
あまりに想像した通りの展開に、遊星は少しだけ笑いそうになった。それはも同じ様で、なんだとー、何て明るい調子でずっしりと遊星の背中へと体重をかけるようにもたれ掛かる。が、勿論その程度では彼の身体は傾いたりはしなかった。

「あと」
「うん?」
「エイプリルに吐いた嘘はその年には実現しないジンクスがあるとも聞いた。」
二人とも遊び嗜む程度で、信じるわけでも何でもないが、その情報に乗っ取るなら少なくとも今年、が遊星を嫌うということは無いということになる。
面白そうなことを聞いたと言わんばかりの声色で「へえ、」と言ったはふと、遊星に預けていた背中を起こした。背中に感じていた彼女の重みがなくなって遊星が少しだけ不思議に思ったのもつかの間、次にガレージに溶け消えたのはさっきと真逆の言葉だった。
「好きだよ」
遊星のこと。
ピタリ、不覚にも遊星の手の動きは完全に止まってしまった。普段騒いだりしていることが多いが不意に囁く様に呟く、自意識過剰でも何でもない、愛しさが溢れている声が遊星は好きだった。きゅう、と心臓を締め付けられるかの様な苦しさを感じるも、決して不快では無かった。背中を向けているせいで表情を見えないことがもどかしい。今彼女はどんな表情をしているのだろうか、そう思い焦がれると同時にうん?と一つ浮かんだ疑問に内心首を傾げた。
自分が今し方上げたのはエイプリルについた嘘はその年には実現しないジンクスがあるということ。それを踏まえた上で発せられた「好き」の意味とは何なのか。遊星の手が止まったと同時に止まった工具の音。後ろでが動くのが気配で分かった。後ろからそっと両肩に手を置かれて、さっきよりも近くにひょっこり現われた彼女の表情は何とも楽しそうで。
「今のは嘘じゃないから」
かろうじて手にしていた工具が重力に従って短い距離を落ちる。でも、そっか。実現しないジンクスがあるのなら、毎年吐いとかないとね。元より嫌う予定も無いんだけど。そう言って彼女は愛しさを孕んだ瞳を細めて「嫌い」、と何とも柔らかく穏やかな声で口にした。


春の日のlovers fool
(隠しきれない愛言葉を贈りたい)


「ちなみに帰る途中で出会ったジャックには遊星の子を妊娠したって嘘吐いたよ!」
「勘弁してくれ。」
WRGPを控えているのに何してるんだとどやされるのが目に見えていて、これは後で騒がしくなりそうだと遊星が頭痛を覚え始めた額に手を置いた。
それを見てケタケタと笑っているを見て思った、自分に対してささやかなオーソドックスだったからと油断し過ぎたと。クロウだと嘘だと見破ってくれたかもしれないが、よりによってジャック相手にその内容の嘘を吐くとは。けれど、全く根も葉もない事を言っているわけでも無いのも事実だということに気付いて、遊星はハタと彼女を振り返った。柄になく少しだけドキドキとした。
「…欲しいのか?」
「ざーんねん、今年中には叶わないジンクスなんだよね」
にい、としてやったりな顔。何処か揚げ足を取られた様な気分になりながら、遊星は昼食を取るべく二階へと駆け上がるの後を追った。

リア充爆発しろ
20120402